【ネタバレ注意】ガラスの仮面第8巻その⑤【自分を殺す演技をしてもらいます】

   

Pocket

嵐ヶ丘の千秋楽を終え、
雪の降る中マヤが月影先生の入る病院に向かうと

「おかえり!マヤ待ってたんだよ。
 いい話があるんだ!」

笑顔で迎える青木麗。

いよいよ劇団つきかげが舞台をやる。
小さいが劇場も借りられそうとのこと。

病床の月影先生を見つめ、そして仲間たちと大喜びするマヤ。

しかしお芝居の演目の決定や演出はさておき、
劇場の手配などの制作業務は誰が手配したのだろうか。
肝心要の月影先生は安静。
マヤは東洋劇場に出ずっぱり。
他のメンバーはロクでもない。

やはり万能の付き人、源造さんが劇場のセッティングなどの雑用も引き受けてくれたのだろうか。

そんな背景は一切明かされることなく
月影先生のその後の容態も明かされることはなく、
演劇の詳細を発表していく月影先生。

タイトル「石の微笑」

主役・フレデリカ 沢渡美奈 年齢25才未亡人
未亡人でずっこける美奈。

野心家で口うるさい伯爵夫人
このドラマのトラブルメーカーのイザベラ 春日泰子
トラブルメーカーで爆笑の一同。
しかしこれまでトラブルメーカーにすらなっていなかった泰子、
初めてスポットが当てられた瞬間である。

イタリアからやってきたペテン師の男・ピオ 青木麗
絶世の美女・ヴィクトリアとの二役

「やけくそだこうなったらなんでもやったるわい」

明らかに不服そうな麗。しかしこの配役が彼女(彼)の今後の役者人生を切り拓くこととなる

大富豪の令嬢・マリサ
女中・ハンナ
謎の老女の三役 水無月さやか
かつてマヤとベス役を争ったさやかは
便利屋として絶賛活躍中である。

そしてマヤ。
芝居巧者のマヤだけに一同も注目。

しかし先生の発表した配役は意外なものだった。

「マヤは舞台の真ん中でただじっと座ってるだけでよろしい。
 セリフはありません。
 舞台の初めから終わりまで一言もしゃべってはなりません。
 せきばらいもため息も、ほんの小さな音声をたてることもなりません。
 セリフもなく動きもなく、表情もつくらなくてよろしい。
 ただ死んだようにじっとしてればいいんです。」

マヤは人形役であった。

「マヤには自分を殺す演技をしてもらいます。」

驚く一同

「マヤあなたには必要なのよ。
 この自分を殺す演技が!
 これははるかな紅天女への道の一歩・・・!」

とマヤに対しては紅天女への道程を踏まえた課題としての役をあてがったようである。
となるとやはりこの「石の微笑」はマヤのための舞台なのか。
そして他のメンバーはマヤのかませ犬として紅天女の肥やしとして生きざるをえないのだろうか。

しかしながら、麗に対しては男役というはまり役を提供するあたり、
月影先生の慧眼恐るべしである。
美奈やさやかに対しても、そしてスカウト組ながらこれまで一切役者としての活動が見られなかった
泰子に対しても、何らかの課題や目的を持たせた配役なのだろうか。

そして肝心のマヤは、月影先生の意図を全く理解できていないようである。

台本には他にも役名が。
そしておもむろに現れたのは劇団一角獣だった。
何でも全国縦断武者修行の最中だとか。

トラックに荷物を詰め込み、北海道の各地を回り、
そのあと東北の各都市で小さいながらも劇場を借りて公演を打ち、
ようやく東京までたどり着いたとのこと。

野宿上等、雨の日はトラックで寝泊まり。
仙台では資金が尽きて一ヶ月住み込みのバイト。
岩手の老人ホームでは慰問劇のようなものもやったらしい。
そして東京にたどり着いたところでお金がなくなったのだとか。
果ては沖縄まで行く予定とのこと。

ただの罰ゲームやん。。。

そして月影先生を探し当てたところ
この「石の微笑」への参加を持ちかけられ、乗ったのだそうな。

大喜びの一同。
しかし何とも腑に落ちない。
沖縄まで行くとのことだが、貴重な時間を東京で費やし、
つきかげに吸収されることで劇団一角獣のオリジナリティと売りを失い、
結果として紅天女候補・マヤの肥やしになってしまうのだった。

伯爵夫人イザベラの夫ジョージ 細川悟
弁護士プレビュー 田部はじめ
バーソロミュー製鉄副社長ギリンソン 堀田太一
その秘書マーゴ 二の宮恵子

こうして劇団一角獣は消滅したのだった。

「わたしたち新宿の簡易宿泊所に泊まってるんだ」

やっぱり罰ゲームやん。。。

去っていく一同を病室の窓から複雑な表情で見つめる月影先生。
有望な若者たちを、己の野望の生贄にしてしまったことへの後悔だろうか。
それともその生贄をいかに料理し、
紅天女の野望をいかに実現させるかという前向きなものであったか。

一方東洋劇場では会長のツルの一声によって関係者会議が行われていた。
会長が言うには「嵐ヶ丘」が失敗だったとのこと。
しかし各種劇評では概ね好評を得ており、
大人時代と少年時代の出来が良く、
惜しむらくは主人公が成長した時の違和感とのこと。

会長はその違和感を失敗だと言っている。

「皆も気づかなかったとはいわせん」
「あの少女はどういうわけか浮き立っていた」
「あの子は一人で演技していた」
「あの子はまだ未熟だ!役者として未熟だ!」
「不気味なまでの将来性は感じるが今はまだ舞台に出すべき人物ではない」
「舞台が荒らされる。もっと役者として洗練されねばならん・・・」

以上、会長の演説。
もうぼろくそである。
確かにマヤが一人で演技し違和感を放っていたことは否定できない。
しかしそれを修正し全体の出来を探るのが、演出家なりスタッフの役目でもある。
そして演出家はそもそもマヤの起用には反対していた。
しかしそれを「将来性」という言葉で押し切ったのは他ならぬ会長である。
会長自身も気づいていたにもかかかわらず、
現場に対して意見することもなく、千秋楽が終わってから会議を開き、
もう終わってしまった演劇を失敗だといい、その失敗をマヤ一人に押し付けるという無能である。

月影先生はマヤの才能を認め、
そのために演目を用意し、他の役者や他の劇団を巻き込んでまで、
マヤの課題克服の舞台を作った。

東洋劇場はマヤの将来性を認めたものの、
その才能を磨くことなく、その突出した才能による不協和を矯正することなく、
舞台の失敗をマヤのせいにし、自身の組織の未成熟をマヤの役者の未熟のためであるとした。

やっぱり組織のリーダーは大切であると思った。

つづく

 - あらすじ・ネタバレ注意, 第8巻・舞台あらし(2)